いま一度立ち止まって考えてみる
2017-05-07


禺画像]
キリスト者となって30年あまりになる。
念願であった同じクリスチャンの妻を迎えることができた。それはいいのだけど、はたと立ち止まって考えてしまう。

「わたしたちははたして他者からどう見られているのだろうか?」

よく日本人は海外に出ると「日本人らしさとは何か」を考えすぎてしまうとか、外国人からどう見られているかということを極端に、いい意味でも悪い意味でもとらえてしまいやすい。
それはまた別の機会にゆずるとして、日本社会でキリスト者はこの30年、全人口の1%前後と言われ続けている。少子高齢化が進んでいるいま、爆発的な人口増加も難しいだろう。

クリスチャンとして考えなければならないことは多岐にわたるけど、一番考えなければならないことは、自分の姿勢を見つめることに欠けていないか、という内省というか自分を見つめることではないだろうか。
周囲への伝道、家族や両親への伝道ということを考えると、私はどうしても自分のやってきたことに疑問を抱く。つまるところ、クリスチャンではない人たち、キリストを知らない(いかにもこういう言い方をするところにごう慢さを感じるのだけど)人たちに対して自分は知っているんだ、神に知られているんだ、教えてやろう、というような思い込み思い上がりがないか?
そういう、外からの目に気づかない気づいていないまま、かたくなに自分の姿勢を他者に押しつけようとしていないか?

わたしはどうだろうか。
いま一度立ち止まって考えてみることも大事だろう。
[church]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット