いかなる暴力にも屈しない
2014-10-04


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先日ある新聞社の元記者2人が、退職後は大阪と札幌の大学にそれぞれ教授、非常勤講師として勤めているこの2つの大学に脅迫文が届いた。
脅迫文には、教授や非常勤講師の退職を要求し、応じなければ学生に危害を加える、という。
「辞めさせなければ学生に痛い目にあってもらう。釘を入れたガス爆弾を爆発させる」ともあった。
わたしはいかなる理由があっても、こうした暴力、暴力によって自由な意見やものを言えなくさせ、自分の意見だけを押し通そうという行為には屈しないし、反対である。

一週間前に終わった、第9回コスモス朗読会。わたしは第2回から、手話と声の両方で表現している。まずこのことに触れなくてはならない。

わたしは5歳で聞こえなくなった。だんだん聴こえが落ちてきていまは左右ともに110〓前後の聴力だ。110〓というのはひらたくいってしまうと、ジェット機エンジンのエンジン音を裸耳、なにもつけない状態でやっと聞こえるというレベルである。健聴者だったらとても耐えられない音であり、空港の飛行機のエンジン整備スタッフは当然耳保護のために耳栓をしている。110〓は、医学的専門的に言うなら、重度のろうに近いレベルである。いまこれを書いているキーボードの音もかすかにしかわからない。
その一方でわたしは健聴者と同じようにきれいに話せる。街でデパートやショッピングのときなど相対した人には話せるから、相手には聴こえているもの、と思われてしまう。しかしさきにも書いたようにろうに近い等しい聴力だから聴こえない。
きれいに話せる一方でろうであるという現実。それは、わたしがいったい何者なのか。ろう者なのか聴者なのかという問いかけを生んだ。どっちつかずのようなあいまいな思いで苦しんできた。しかし、朗読と出会い学んできて、朗読はたしかに声で表現するものであるけれど、聴者だけのもの、聴こえる人だけのものだろうかという疑問が生まれてきた。わたしのように話せるけれど聴こえないろう者にとっては声だけでは楽しめない。
聴こえない人聴こえる人、ともに楽しめる朗読もあっていいのではないか。そう思い、いくつもの反対や壁を超えて手話つき朗読にチャレンジしてきた。そこでわたしはろう者だと。しかし手話と声で語ろう表現しようという光をみいだした。やっと自分らしくなれたのだ。

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