生きていればいいことはあるよ
2014-06-08


禺画像]
いま、1時間ほど軽くギターの練習をしたばかり。

午後から、わたしがたまに通っている手話サークル、千代田一麦会の健聴者会員と以前住んでいた江戸川区在住の健聴者で手話を学んでいる方、計3名をお招きして交わりのひとときを持った。

自宅近くにあるピザレストランで昨日注文しておいたピザを妻が受け取り、わたしはお客様をお迎えに駅で待っていた。
駅から自宅にご案内してピザやお菓子などを囲み、なぜ手話を学び始めたのかやわたしたち夫婦の出会いなどいろんな話題で話が弾んだ。

そのなかで妻がわたしの趣味について触れだした。
いろいろ話してもいいのだけれど、アメリカンフットボールに触れたら長くなる(笑。わたしのギターが話題になって、いま教わっている海援隊の「思えば遠くへ来たもんだ」をお聞かせすることになった。できはあまりよくない。さっきまで練習していたのはその反省があるからだ。

お客様のなかにピアノをやっていらっしゃる方がいて、ピアノ楽譜を持っていたので、童謡や文部省唱歌「ふるさと」や「四季の歌」の手話表現を教えて一緒にやったりギターに合わせて歌ったり。
そうこうしているあいだにどういうきっかけか、病院や介護施設でご高齢の方のボランティア活動をしよう、手話ソングとわたしのギターをみなさんに披露して楽しんでもらおう、という話がでた。文部省唱歌や昔のフォークなど10曲余りをリストに挙げて、手話通訳士に手話ご指導をお願いして7月から始めようと具体的なプランが出来上がった。

グループ名はまだ決まっていないし、どこの施設に行くかなどといったことはまだ先の話だけれども、場合によっては練習に、この自宅があるマンションの集会室をお借りできるかもしれない。
まさかこんな話が出るなんて、今日お客様をお招きするまではまったく考えてもいなかったしそのつもりもなかった。
人生何が起こるかわからないものだ。
ギターを教わっているいま、まだ人前でお見せできるレベルではない。
けれども手話を身につけて妻と出会い、千代田一麦会の会員はじめかつて住んでいた江戸川区の手話学習聴者と一緒に手話ソングをやろうなんて、いったい誰が予想できただろう。

もともとわたしは音楽は好きだけれど自分でやるのは嫌いだった。中学校時代の合唱の時間、音程が合わず「お前だけ口パクでやっていろ」といじめられたのが、いまでも傷になっているくらいほどだ。
しかしこんな話が出るのは、やっぱり楽しいし、昔の傷をいやせるかもしれない。生きていればいいことはあるよ。うん。

ともかく末永く、じっくり続けていきたいものだ。
[commnication]
[Music]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット