時空を超えて
2009-01-02


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仕事の後に、注文していたものと取り置きをお願いしていたものの計3枚のCDを購入してきた。

2枚はベートーベンの「第9」。1枚はやはりベートーベンのピアノソナタ第8番ハ短調Op.13「悲愴」、第21番ハ長調Op.53「ワルトシュタイン」、第23番ヘ短調Op.57「熱情」。仲道郁代さんの演奏だ。

2枚の「第9」は、いずれもわたしは生で聞いたことがない。1枚は1966年12月29日、東京厚生年金会館で録音された、ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮、NHK交響楽団のもの。聴いていてここで取り上げているいま1枚は1954年8月22日、ルツェルン・クンストハウスでの実況録音だ。指揮者はウィルヘルム・フルトヴェングラー(WILHELM FURTWANGLER、1886-1954)。

さすがに半世紀以上前の音源だし、最新の録音とは違うけれど、しかし聴いていて、耳の悪いわたしでも「何か違うんだよな」という感じを抱かせる。
何が、どう違うのだろう。

はっと気づかされるのは、あたかもわたしが1954年8月22日、日曜日。ルツェルン・クンストハウスでシートに座っているかのような錯覚に陥ることだ。CDについているノートに「今から50年以上前の当演奏会場に私どもを連れて行ってくれます」とあるが、それに引きずられたりまどわされたりするのではなく、ほんとうに時空を超えてそこに居合わせているような印象を受けるのだ。
具体的にいえば、たとえばいま聴いている第4楽章。
導入部の太鼓の響き。バイオリンなどの弦楽器。合唱部に入る前のあの有名な導入部。音がそのまま臨場感をもって聞こえてくるのだ。
おしむらくはソリスト4人の声が鮮明にきこえないこと。無理もないだろうことは理解しているけれど。

なんてすごいんだろう。50年以上たっているのに、まったく古さを感じさせない。いや、最新の録音では、50年後にこんな感じは出せないかもしれない。とても重厚な響きなのだ。

人間のもっている力というか、芸術の力をまざまざと示している。
当時ほとんどもう耳が聞こえなくなっていたベートーベンが、これを書いたあと1世紀以上もひとのこころをひきつけている。そして50年がたったいまもなお、色あせない、フルトヴェングラーの指揮と表現力。

人間ってこんなにもすごいものなんだ。
有名無名は問題ではない。
生きていれば誰にも、色あせない、すばらしいなにかを遺すこと、遺す可能性が与えられているのだ。
生きていく、生きるなかから、生きた証を遺していけばそれでいい。評価は神さまが示してくださるから。

明日もまた、できることを精いっぱいやっていこう。

Beethoven Symphoy No.9 “Choral”
    FURTWANGLER 22.[.1954 Lucerne   TKC-307

 Schwarzkopf(Soprano) Caveti(Contralto) 
 Haefiger(Tenor) Edelmann(Bass)
 Chorus of the 1954 Lucerne Festival Philharmonia Orchestra
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