この一日は私の命
2009-01-01


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新年あけましておめでとうございます。

今年が皆さんにとって幸いと喜びの多い一年になりますように、こころからお祈りいたします。

ここをひらいてから3年目に入りました。
少しでも明るく希望に満ちたものを書き遺していきたいと思います。
お読みくださり、またコメントを書いてくださる、みなさまお一人おひとりにこころから深く感謝とお礼を申し上げます。
またコメントをいただければ、わたしにとってこの上ない励み宝になると思います。どうかよろしくお願いいたします。

さて。
新しい年の始まり。
いろいろ思うことこころに刻んでいることがある。
昨年からたびあるごとに口にしたりこころにとめたりしている言葉。
「今日はわたしの人生の終わりの最初の日である」

昨年の朗読舞台で台本にしようかと考えたこともある、元NFLシカゴ・ベアーズRB、ゲイル・セイヤーズ著「I am Third」(邦題は「スーパー・ランナー」。絶版)。

そのなかの「新しい日」という章にこんな詩が書かれている。
一部を引用しよう。

神が、今日という日をわたしに与えてくださった。
良きにも、悪しきにも使える。
今日私が何をするかは大切なことだ。
この一日は私の命
(中略)
失うのではなく、何かを得るために
悪しきではなく、良きことに
失敗ではなく、成功を得るために、
今日のために、命をかけたことを忘れぬために。

わたしが変わらなくてはならない。
けっして周りの人たちに何かを求めるとか、わたしを信じてくださいと押し付けたり要求したりすることではない。

日々の生活はたしかに厳しい現実があり、理想通りにはいかないものだけれど、自分ではなく自分を中心にするのではなく、神さまを、ついで友人や同僚や難聴・手話仲間を、そして最後に自分をおく。

「今日はわたしの人生の終わりの最初の日である」
いつかはわたしも神のもとに、真理子さんもインコもいるだろうところに帰る。
その日がいつかはわからないけれど、その瞬間まで、今日一日なにかのためにいのちをかけて打ち込み取り組み続け、生きていく。
そんな歩みでありたい。

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