想像する力 空想ではなくありのままを見つめる目
2007-09-13


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今回の旅行の目的は観光ではなく、朗読で読むことになっている「アンネの日記」とからめての取材旅行であった。
だからアムステルダムに来たということは、当然アンネの隠れ家を訪れないわけにはいかない。
朝起きて朝食、ハムとパン、コーンフロストを食べてから、徒歩で「隠れ家」であり改築された「アンネ・フランクの家」を訪れる。午前10時にはすでに多くの訪問客が列を作っていた。

アンネの隠れ家と日記については、アンネ本人の日記や多くの著作を通して既に知られているところであるが、アウシュビッツを訪れる前の、いまから15年ほど前に読んだ新聞記事を思い出す。そこには「アンネの家」を訪れた日本の若者が「ナチスが日記を片づけなかったら残ることはなかったよな」と口走ったという話から始まっている。

アンネも含めた隠れ家の人たちは、逃げたくても逃げられなかったのだ。隠れ家の外に出るということは、見つかって強制収容所へ送られるということを意味している。ユダヤ人としてさまざまな制約を課せられているなかで、逃げ出すということはあの時代、ほとんど不可能なことだったのだ。わたしはこの記事を読んで、なんと想像力の欠いたことを口にしたのだろうと、この日本の若者を苦々しく思ったものだが、いま実際に訪れてもその気持ちに変わりはない。
想像力とは、ありもしない空想を並べ立てることではない。あのいまわしい時代に何があり何が起きたのかを想像してみるということ。
まさに想像力が問われる、今回の取材であった。

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