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今日の礼拝説教では、11歳で病気のため亡くなったある女の子の詩が読まれた。
牧師先生の許可をいただいて、ここに引用してみたい。
命
宮越由貴奈
命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ
でも電池はいつか切れる
命もいつかはなくなる
電池はすぐにとりかえられるけれど
命はそう簡単にはとりかえられない
何年も何年も
月日がたってやっと
神様から与えられるものだ
命がないと人間は生きられない
でも
「命なんかいらない。」
と言って
命をむだにする人もいる
まだたくさん命がつかえるのに
そんな人を見ると悲しくなる
いのちは休むことなく働いているのに
だから 私は命が疲れたと言うまで
せいいっぱい生きよう
たまたま偶然のことだけれど、テレビのリモコンの具合がおかしくなって今日、電池を取り替えた。また、補聴器のスペア電池を買いだめした。いつ切れるかわかったものではないから、ストックが必要なのだけれど、安い価格だったのでまとめて購入した。
もしあしたわたしが死んだら、コンタクトレンズもストックした電池も、使う意味がなくなるかもしれないけれど。
「日記」でも、アンネが隠れ家の生活で肉体と精神が変化し、恋人への思慕と性にめざめ、人を好きになり欲求から深く高い愛へ昇華していく成長の跡をみることができる。そして戦争や武力に訴えることへの強い怒りをつづっている。
人間は成長し変化することができる。可能性をもったいのちある存在なのだ。
電池は交換すればいいけれど、いのちは交換ができない。再生することもできない。
わたしを取り巻く周りがどうであれ、もし世界中のすべての人がわたしに反対したとしても嫌ったとしても、わたしはかけがえのないたったひとつのいのちをいただいている。よく考えてみよう。わたしは有名人ではないし権力があるわけでもない。世界に知られた存在でもない。だから世界中のすべての人がわたしを嫌い、反対するなどということは、いまはありえないことなのだから。
だから、恐れずに今日を生きて明日も、また生きよう。
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