ろう者とCODAとクリスチャン〜自分を守ろうとする。CODAの例でいえば、いい子ちゃんでいなければならないと〓ふるまってしまうか。
2023-02-21


今晩、仕事の帰りにバスに乗り遅れまして、呼び止めたバスの運転手さんから乗車を断られました。障がい者差別だというつもりはなく、わたしが悪いのだから理解していますが、昨今はちょっとしたことでもキレてもめごとをおこす人が多いですね。

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この記事中に「聴こえる人たちのなかで働くろう者はコミュニケーション面でのストレスを抱えがちなんです」「同僚の聴こえる人たちは、筆談などでサポートしてくれる。でも、業務に関係ない、何気ない雑談はわざわざ筆談で伝えないですよね。そういう些細なことの積み重ねが、ろう者を寂しくさせ、孤立感を抱くことにつながってしまう。結果、退職を選んでしまうんです」というくだりがあります。聞こえないことがなかなか理解されないなあという思いをずっと抱えたまま引きずっています。
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ここから引用したくだりで、聴覚障害の親をもつ健聴の子ども(CODA,Children of Deaf Adults 以下CODA)について3つのタイプがあげられていました。@聴こえない親への感情を爆発させるタイプ。親への不満を口にしたり、存在を否定したりする人たち。A本当に親と良い関係を築いているタイプ。B最後が、親を守らなければいけない、聴こえない親の子どもだからいい子でいなければいけないと思い、自分の気持ちを抑え込んでしまうタイプ。

冷静になって考えてみると、CODAもクリスチャンも、聴覚障がいや手話の受容、親から子どもへの信仰継承ということなどを考えてみると「聴こえない親への感情を爆発させるタイプ。親への不満を口にしたり、存在を否定したりする人たち。本当に親と良い関係を築いているタイプ。そして最後が、親を守らなければいけない、聴こえない親の子どもだからいい子でいなければいけないと思い、自分の気持ちを抑え込んでしまうタイプ」というふうに、感情や不満を爆発させるか、いい関係を築いているか、いい子ちゃんでいなければならないと思うか、という点でCODAもクリスチャンも、実は似ているんじゃないかと思うんです。聴覚障がい者も、同じ聞こえない人同士では手話で会話をするなどでストレス解消や思いの共有ができるのだけど、聴こえる人たちのなかに入るとコミュニケーション面でのストレスを抱えがちになる。些細なことの積み重ねが、ろう者を寂しくさせ、孤立感を抱くことにつながってしまう。聞こえる人のなかでは黙っているか、自分と関係のない話には入らないかなどして自分を守ろうとする。クリスチャンならば品行方正、「清く正しく美しく」ふるまおうとしてしまう。CODAの例でいえば、いい子ちゃんでいなければならないと〓ふるまってしまう。

わたしの子どもは聴者であり、わたしも妻もクリスチャンですが、手話や信仰をどう伝えていくか。簡単ではないのは承知していると同時に、親の考えを押しつけたり強要したりしてはいけないことは言うまでもないこと。くわえて「感情や不満を爆発させるか、いい関係を築いているか、いい子ちゃんでいなければならないと思うか」の3つで無言のプレッシャーを与えたり感じさせたりしていないか、常に自問自答してみる必要がある、と考えさせられた、バス停での出来事でした。
[commnication]
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