休刊
2018-09-25


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『新潮45』に、杉田水脈議員がLGBTについて「生産性がない」などと寄稿した問題がここしばらく議論を呼んでいたが、今日になって新潮社は『新潮45』を休刊すると発表した。
問題になった寄稿論文についてはもちろん納得していないし賛成もしていないが、これだけ議論になったから「休刊」というのは問題と向き合っているのかいないのか、寄稿論文で傷ついた、不愉快だと感じた人たちに向けたメッセージがないだけでなく、「臭いものにふた」をするだけだという印象を免れられない。

新潮社の小説や文庫本はよく読んでいたし朗読でも使ったことがあるだけに、いくら小説と雑誌部門は別だと言われても、納得できない。

ちょっと思い出したのは、わたしがアウシュビッツへ行くきっかけとなった、文藝春秋社から出ていた『マルコ・ポーロ』休刊問題だ。
あのときもある医師が「アウシュビッツはウソ」という文を投稿して、ユダヤ人団体から抗議を受けたのがきっかけだった。

いろんな議論はあっていい。
しかし、傷ついた人、不愉快だと感じた人がいるからあれだけ問題になった。
そのことをしっかり直視しないままでは、また同じような問題が出てきてそのたびにもめた挙句、休刊ということになってしまう。それは文化の衰退、自分で自分の首を絞めることにならないか。
そんな危惧も感じている。
[Books]

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