生きているいのちある存在
2018-08-03


禺画像]
生産性ってなんでしょうね。
国家に貢献すること? では国民は国家に貢献するために存在しているのだろうか?

わたしたちは生まれてくる家庭も親も選べないと同じく、国家も選べない。アメリカに生まれたかった、タイに生まれたかったと思ってもかなわない。

しかしはっきりしているのはただひとつ、アメリカだろうが日本だろうが中国だろうが、生きているいのちある存在なのだということ。
それを抜きにして国家に貢献するというのはおかしい。

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