だれもが太陽の恵みを受けて春に萌える、雪の下に眠るバラの種子なのだ。
2018-06-13


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月末に、あるイベントで、聴者のボーカルとピアノに合わせてギターを演奏する。
小学校低学年のこと。「富士山」をピアノで即興で弾いたら先生が顔をしかめていた。そのころはバイエルが主体で、指先を立てて弾きなさいなどと厳しく教えられた。たぶん子どもの弾く即興が気に入らないというより、基礎もないのに即興をやるなと言いたかったのだろう。それがいやでピアノをやめてしまったのだが、ふりかえってみたらもったいないことだったかもしれない。いまもギターを弾くとき、先生から指の動きを厳しく指摘してくださる。基本が大事だということはいまも昔も変わりないことだと痛感する。結局、ピアノをやめる前に発表会などというものには一度も出ることがなかった。このトシになって初めて人前でギターを演奏する。

今日はその初めての練習。
手話ダンスもそうだがやっぱり聞こえないから曲の入り方がつかめなかったりいまどこを歌っているのかわからなくなったりする。けれどもあきらめるのは誰でもできる。あきらめずにやりとげたい。聞こえないろう者でも手話やギターをとおしてなにかを伝えたい。
どんなにさびしくつらく、道が遠くに感じられる、周囲がみんな運がいいなと思えるような苦しみを感じるとしても。だれもが太陽の恵みを受けて春に萌える、雪の下に眠るバラの種子なのだ。
[Music]
[Sign Performance]

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