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多くは語りたくないと思いつつ、やはりあの事件が頭から去らない。ショックは大きく、いまも続いている。
日本障害者協議会サイトから
相模原の障害者施設での殺傷事件について
[URL]
お読みいただければお分かりと思う。
ポイントは4つ。
容疑者が抱いていた考えがナチスの優生思想を思い起こさせるものであり、現在の社会に引き合わせると、社会や経済のひずみがしわ寄せとなって弱者へやってきている。いろんなひずみを社会全体で問い直すべきだ。
容疑者が措置入院歴があるということが、かえって措置入院の強化をまねくものであってはならない。精神障がい者への偏見や差別という政策手法が繰り返されてはならない。
防犯策の強化はむろん言うまでもないが、それのみにこだわると、地域社会と福祉施設の断絶につながりかねない。それはかえって「施設から地域へ」の逆行になりかねない。
犠牲者の氏名を伏せるのは、一人ひとりの死を悼みにくい。
もしいま、容疑者だけではなく、彼と同じ考えを持った人と向かい合ったなら、わたしはこう言おう。
「生きていることが不幸だというのはあなたたちが優れているという思い上がりである。生きていることが不幸なのではなく、障がいがあるわたしたちを不幸だと決めつける社会の側こそが不幸なのだ。その思い上がりがある限り、この社会はいつまでたっても幸せにはならない」
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