居酒屋にて
2016-05-20


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今晩から、今秋10月1日にひらかれる第11回コスモス朗読会にて読む作品の手話訳づくりがはじまった。

そのあと居酒屋に場を移して手話通訳士と、世相やサークルのことなどいろいろ話をする。手話でおしゃべりをする機会が少ないわたしには、こういう機会はとても重要だ。
ところが、たまたま席が空いておらず、わたしたちの隣に座った見知らぬ人が「あなた、聞こえるの? 話せるのね?」とわたしがきれいに話せるのに補聴器をつけているのを不思議がって聞いてきた(と判断した。彼の言っていることがほとんど聞こえなかったからだ)。
一瞬身構えたのはいうまでもない。居酒屋だから酒も入っている。わたしは飲めないからいいけれど、酒に任せた勢いでなにを言われるかわかったものじゃない。聴者の声は補聴器をつけていてもほとんどなにを言っているかわからないから、へんにわかったような顔をするのも危険だし、かといってなにも言わないでいるとよけい誤解されるかもしれない。知らない聴者から声をかけられることほど、緊張度が高まることはないといってもいい。

幸い、手話通訳士があいだに入って「この人(わたし)は話せるけどまったく聞こえないんだよ」と音声言語で説明して下さり、トラブルにはならなかった。

ろうなんだけどきれいに話せる。きれいに話せるのだけどろう。
わたしの実家も妻の実家も、手話ができない。つまり家族の中では妻しか手話ができない。
そしてさきに書いたように、聞こえないということがわかっても話せるから、わたしが聞こえない人なのかと疑われたり。

もう慣れっこですよと手話通訳士には言ったけど、やっぱりつらいしいやだし、苦痛でもある。

世の中にはもっともっと理解されない苦しみを味わっている人がおおいのだからと思いつつ、聴覚障がいというもののやっかいさ困難さをあらためて感じさせられた、ひとときだった。
[commnication]

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