生きたかっただろうパイロットの無念と悔しさを思う
2015-12-09


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艦尾にゼロ戦船体から黒煙 ミズーリ特攻の瞬間
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戦艦ミズーリと言えば、太平洋戦争日本の敗戦後の1945年9月2日、横浜沖に停泊中の米戦艦ミズーリ鑑上で、重光葵外相が梅津美治郎(よしじろう)陸軍参謀総長とともに降伏文書に署名したことで知られる。

その重光氏は大分県の出身だが、この大分県で発行されている大分合同新聞の動画サイトに、降伏文書調印からおよそ5カ月前の45年4月11日、、鹿児島県喜界島沖でミズーリにゼロ戦が突入していた動画が出ている。
ミズーリ艦上でゼロ戦が突入する瞬間、米軍兵士が混乱しているさまが撮影された写真は有名だしわたしも何度も見たことがあるが、その突入瞬間の、遠距離からの撮影とはいえ動画が見つかったのは驚きであった。

あのアメリカ同時多発テロ、9・11以来「カミカゼ」という言葉が外国でも通用するようになった。ISイスラミックステートが飛行機を使った自爆テロを計画しているという報道もきいている。
しかし、わたしは彼らISと特攻隊を同列にみる考え方には同意できないし賛成もしない。たしかに爆弾を抱いて突っ込んでいくというものは同じように見えるかもしれないが、まったく意図が違う。ISはジハードという思想、コーランにはない身勝手な主張を持ち出して人の命をもてあそんでいる。

戦後、大分県出身の外相が降伏文書に調印したとき、彼はこの船にも特攻機が突入したことを聞かされたのだろうか。

記事にもあるように、生きたかっただろうパイロットの無念と悔しさを思うとき、戦争がいかに愚かなことかと思う。

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