ありのままでいいんだ
2015-10-09


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ありのままの私を見て LGBTの告白、写真家が後押し
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この世の中は実にわかりにくいこと納得の行かないことだらけ。なぜわたしがこんなややこしい、ろうなのに話せるからだなのか、ということから戦争や争いがいつまでもやまないこと、身の回りにいくつも起きる理不尽であったり理解できなかったりすることばかり。

しかし、それでもわたしは「ありのままでいいんだ」と思えるようになった。まだまだ世界は混乱と対立と憎しみ争いがやまないけれど。

と前置きが長くなったけれど、わたしはろう者で聴者と同じように話せる。
そのわかりにくさがわたしを追いつめていくのはいままでもこれからも起こるだろう。
たとえば会議でなくても聴者とのやりとりで、普通に話せるゆえに「聴こえている」と思われ、聴こえないことが伝わらない。わたしも聴こえていないことを公にできずに周りに合わせようと、自分を隠してしまうことがあった。自分を公に出せないから、苦しくてつらくて、うつになったこともある。

それは、立場こそ異なるけれど、この2つのサイトに出てくるLGBTの人たちの思いと重なる。
まったく同じかというとそうではない部分もある。しかし生きづらさをもって(ここでいうのは抱えてという意味で)生きているということではとても共感できる。LGBTの人たちも苦しみの中にいて、自分を押し殺してかくして生きてきた。それはけっしてわたしにとっては他人事ではない。

もちろん世の中にはLGBTを理解しようしたくないという人もいるだろう。嫌いで近寄らないでほしいという人もいるかもしれない。
けれど、大事なことはひとつ。
嫌悪感はあっていいけれど、身近な存在だということ。生きているいのちをもつ存在であることに変わりはないということ。

多様な人がいて多様な社会であること。
わたしは異性愛者で妻がいるけれど、LGBTの人たちを理解していけるようになりたい。

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