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ギターを引っぱり出して納涼会の練習と、舞台の練習の両方に時間を費やした。
ひとりでやるというのはなかなかこれはこれで厳しさとしんどさが伴う。昔高校時代の弁論大会のときも、誰もいない教室でひとりで練習をして、恩師にみてもらったことがいまでも忘れられないのだが、当時住んでいた学生寮に帰ってからもひとりで練習をしていた。
誰も見てくれるわけじゃない、教えてくれるわけでもない。やるのは結局はわたしだから、わたしがひとりで取り組み向かい合うしかない。
そのしんどさはほんとうに厳しい。
が、その向こうにあるもの。実ったかどうかではなく、取り組み続けるということ。この厳しさと苦しみつらさから何が問われているのか、ということを感じる。
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