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夜から手話つき朗読『最後だとわかっていたなら』の練習と手話訳づくりにとりかかった。
この作品でいくと決めてまったく迷いはない。初めての詩の朗読に挑戦するわけだが、手話でやるとなるといささか気をつけなくてはならないことがある。
小説などなら主語があるし、誰がどうしてどうなってとわかりやすい。だが詩は主人公がない。だから手話にするとき、その話の主人公や舞台はどういうものなのかが表しにくい。
いろいろ相談しながら考えたのは、英語の原文をもとに訳をつくりなおして手話にしやすいようにしてみてはどうだろうか、ということだった。
こういった取り組みも昨年の『鬼平』とはまた違った楽しみ勉強になる。
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