聴こえる人と聴こえない人の関係構築を
2011-04-10


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明日で、東日本大震災発生からまる1カ月になる。
今日の朝刊では亡くなった方の数が1万2915人、うち65歳以上の高齢者が55・4%を占めるとあった。なお行方がわからない方の数も1万4921人。

わたしはろうに近い重度難聴者だからどうしてもこのことにこだわるのだけれど、こういう災害では、弱者になればなるほど、孤立したりつらい立場におかれたりする。
東日本大震災で助かったというある難聴者の例をあげると、夫婦ともに難聴者なのだが、地域で自分たちが聴こえないということを周知してもらい、集会など集まる場では要約筆記者も同行してもらうなどして、地域とのつながりが構築されていたという。あの日、そういう積み重ねの上に、助け合いができていたのだという。

聴こえないという障がいは目には見えない。
わたしの場合で恐縮だが、話せるし文を読んだり書いたりできるものだから、つい意識しない、聴こえないということを忘れてしまう場合もあるだろう。
いつまたあの日のような大災害が起こるとも限らない。わたしはいまひとり暮らしだけれども、聴こえないために人間関係や地域とのつながりが切れているかあいまいな構築であったりする。会社はしょせん仕事だけだから、会社を離れてしまえばそれ以上のつながりはない。教会は日曜日だけで、平日会うとか会話をするということはない。住まい周辺はもっとつながりがなく、隣近所にだれが住んでいるのか、どういう人なのかさえ知らない。わたしが知らないのだから向こうも同じだろう。手話サークルはあるけれど、サークル活動日のほかは個人的に会うこともない。

たしかに手話や要約筆記など、面倒だ覚えるのがたいへんだ、かかわりたくない、という人もいるかもしれない。
でも無理に手話を覚えてとは言わない。どんな方法であっても、コミュニケーションを図ろうという気持ちを持ってもらえれば、あとはこちらもなんとか対処できる。聞いて聞かれて、お互いに顔を向き合うことができていれば、と思う。
[commnication]

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