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一夜明けて、路肩に雪が残ってはいたけれど歩くぶんにはたいしたことはない。
三重や和歌山で鳥インフルエンザが発生した、というニュースがはいった。これまで多くの鶏などが殺処分された。
ふだんわたしもそうだが、生きているいのちをいただいている、ということに気づかないか意識していないことが多い。だが、よく考えてみればけさの弁当に入れた豚肉だって、居酒屋で口にする焼き鳥だって、今日手話の勉強のあとで食べたマグロや貝だって、もともとは生きているいのちなのだ。それをいただいてわたしたちは生かされている。
宮崎を中心に発生した口蹄疫のときも、豚肉や牛肉が感染流行を防ぐために、感染していないものまでも殺処分されたことは記憶に新しい。畜産農家の人たちにとっては、生活の糧という以上に、家族同然である、これら豚や牛や鶏を殺さなければならなかった、その悲しみ苦しみを思うと胸が張り裂ける。新聞やテレビで15万羽を処分した、というけれどその15万羽ひとつひとつが、生きたかったと思う。だのに殺され死ななければならなかった。やりきれない悲しみと苦しみをおぼえる。
わたしたちは、いのちをいただいて生かされているということにあらためて謙虚に、厳粛な思いをいたさなければ。
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