どう考えても違和感を隠せない
2009-08-16


禺画像]
今日、礼拝へ行く途中、歩道橋でアブラゼミをみた。必死に動いているのだろうか、短い一生をひたむきに生きている(ような)セミに、思わずカメラを向けた。

近々ある映画が公開されるらしい。
幼少のころから「最強」という言葉にひかれて、カブトムシに勝てる昆虫は? というテーマにこだわり続けてきたという、ある作家がつくった『虫皇帝』という作品だ。
タガメやカブトムシ、クワガタなどの昆虫とオオムカデ、タランチュラ、スコーピオンなど、毒蟲とを戦わせるという内容だと聞く。それを目当てにしたのではないがある雑誌に写真が掲載されて、たまたま買ったときに掲載写真を見たのだ。

見て一瞬、違和感を隠せなかった。時間がたつにつれて、映画の意図や作者の狙いはわからないでもないけれど、いいのかなという疑問が生まれてきた。

昔、カマキリを飼育した経験がある。
えさにはもちろん生きたイナゴを与えた。イナゴの首をひねって切り離し、カマキリに与える。カマキリの体内を通っていくイナゴのからだが見えたとき、生と死をまざまざと実感したものだ。

古代ローマでは格闘技の一環としてライオンなどの猛獣と人が戦うショーや、戦士と呼ばれた、格闘技の技術を教え込まれた者同士が戦うショーが満員の観衆の前で繰り広げられた。キリスト教が迫害を受けていた当時、キリスト教徒も猛獣のえじきとされたと聖書にある。
コロセウムは当時、野天につくられた巨大な円形闘技場につけられた名称であるが、5万人を収容するという、いまのフットボールスタジアムとそん色ない闘技場では、奴隷や身分の低かった戦士たちが、皇帝や貴族たちの前で戦わされ、血を流していた。それをみるのが皇帝たちの娯楽であったという。

それとこれを一緒に同列に論じるのではないけれど、しかし違和感を隠せないのは、自然界でなら当たり前の弱肉強食、生き物同士の姿を、なんでわざわざアクリルケースに入れて人前で見せる必要があるのだろう。映画に登場する昆虫や毒蟲のなかにはインドネシアやアフリカ中西部などに生息しているものもある。カリブ海のクアドループ島、ドミニカ島に棲むものもいる。希少動物保護条約などに違反していないかもしれないが、そんなものをわざわざ見せる必要があるのだろうか。

人間の奥深い欲望。それも醜悪なものをみせられたような気がして、いくら「強いものへのあこがれ」をテーマにしたとしても、わたしはすなおに受け入れられない。
わたしははっきりいってこれを見たいとは思わない。
[Movie]

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