セナ
2008-05-01


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あれからもう14年か。1994年のこの日、F1サンマリノGPの決勝レース中にアイルトン・セナが事故死したのはこの日だった。スーツにセナのヘルメットをデザインしたバッジをつけて彼をしのぶ。
あの日の出来事、あの日をどう過ごしたかはいまでも鮮明に覚えている。仕事が終わって古い友人と一緒に、近くの食堂でそういや、今日はレースがあるんだったねといいながら、帰ってテレビを見ると、セナが事故にあったと。まもなくして死んだという続報が飛び込んで、血の気が引いたのを覚えている。その後の、事故をめぐる裁判に関する報道なども雑誌や新聞を通して何度も聞いたり関心を抱いたりした。1997年2月20日にウィリアムズF1チーム・FIA ・SAGISの6人を被告として始まった「セナ裁判」と呼ばれた裁判は、結局、事故原因はセナが要求した、ハンドルの軸を加工する作業の強度不足だと言われたが、責任が誰なのか、メカニックなのかチーム監督にあるのか、サーキット関係者なのか、 うやむやなままに6人を無罪とする判決を下して1997年12月16日、終わった。

14年前は、セナと同じサンマリノGPの予選中に事故死した、ローランド・ラッツェンバーガーまで、12年間死亡事故がなかった。セナとラッツェンバーガーまでは「二度と死亡事故は起こらない」と断言する人もいた。だのに事故は起きた。
セナが310キロから210キロに急減速した速度で激突したあのタンブレロ・コーナーは1989年のサンマリノGPでも、クラッシュ事故があった。高速コーナーに加えて、コンクリートウォールがあり、タイヤバリアなどがない危険なところのため、一歩間違えると取り返しがつかない事故が起きる懸念があった。実際、セナの事故のあとにタンブレロ・コーナーは大きな改装が施された。さらにマシンも、セナ当時とは比べ物にならないほど安全な設計になっている。たとえばドライバーを保護するコクピットがそうだ。写真で比較するといい。いまのマシンは首から上を囲むようにつくられている。あれからF1における安全性は事故前以上に高くなり、死亡事故はなくなった。しかし、セナがかえってくるわけではない。人間のすることに絶対はないし、人間が操る、あれほど高速で走るマシンが、事故を起こさないとは言い切れない。

今日、会社に行く前に幼稚園児とお母さんと立ち話をした。男の子の胸につけられた名札には「せな」とあった。おそらくお父さんかお母さんがF1、セナのファンなのだろう。あの子が大きくなったとき、F1はどうなっているだろう。地球環境を考えるとモータースポーツの未来は明るいとは言えない。

写真は、セナの最後のマシン、ウィリアムズ・ルノーFW16と、インディカーのテストに招かれたときに乗った、ペンスキー・インディカーのミニチュアである。セナのヘルメットのデザインが異なるのは、それぞれのマシンに乗った年によって違うからだ。けれどブラジル国旗をイメージしたヘルメットは見るたびどれも懐かしくそして悲しみを覚える。なぜならあの事故のとき、タイヤとボディーをつないでいた、折れたサスペンションアームがヘルメットを貫通してセナの脳を直撃したのが、死因だったからだ。あんな速度と4Gともいわれた衝突だ。普通の人以上に強じんなセナでもひとたまりもなかっただろう。飛んでくるサスペンションアームをかわす余裕もなかったはずだ。あっというまだったのだから。……でもわずかでもいいから、ヘルメットをかすめてほしかった。

今年のF1ではセナとチームメートだった中嶋悟さんの息子、一貴がウィリアムズ・チームで走っている。セナの最後のチームだった。お父さんがF1でデビューしたのはセナにとって2つ目のチームだった。
これも何かの縁だろうか。
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